武田信玄が織田信長に宛てた書状が発見されたそうだよ
こんにちは、まこえもんです。
そういえば昨日、こんな大発見のニュースがありました。
信玄から信長へ 感謝を記す書状 発見 #nhk_news https://t.co/oqpZKW7YYD
— NHKニュース (@nhk_news) January 14, 2020
なんと!あの武田信玄が、織田信長に宛てた書状が見つかったそうです!
こういうのが出てくると、歴史好きにはたまりませんよね。
この書状の中身はというと、
信玄「どのようにお礼をしてよいかわかりません。越後と甲斐が戦いになったら何をおいてもお味方くださるとのこと、頼もしく存じます」
といった内容らしいです。
信長が、越後の上杉謙信といくさになった時には味方につきますよー、と意思表示したことに対する信玄からの感謝の気持ちを伝えています。
この書状は信玄と謙信との間の停戦が破棄された元亀元年(1570年)頃に書かれたとみられているそうです。
確かにこの頃は、信長の養女を武田家の世子(せいし:大名の跡継ぎの子)武田勝頼に嫁がせることで友好的関係を結んでおり、更に信長の嫡男(ちゃくなん:正室の生んだ男子のうち最も年長の子)である織田信忠と信玄の娘である松姫の婚約が成立しています。
信玄は信長の同盟国である徳川家康と三河・遠江をめぐり対立を続けていたけど、信玄と信長は友好的関係を築いていましたからね。
この書状は納得がいきます。
しかしこの後、信長が比叡山を焼き討ちしたことに信玄は激怒し、信長のことを「天魔ノ変化」(意訳:もう魔王やん!?)と非難してますね。
将軍・足利義昭の信長討伐令の呼びかけに応じ、信長とは敵対関係となり信玄亡き後も、武田家が滅ぶきっかけになったあの長篠の戦いに至ります。
武田家は信長に滅ぼされたというイメージが強いので、今回この書状の発見により、改めてこの時代は戦国時代なんだなぁと気づかされました。
昨日の記事